出生〜
板橋区の病院にて出生。(2人姉弟の弟)
直後、父親の仕事の関係で北海道の苫小牧にて2年間暮らす(記憶なし)
その後、父親の仕事の関係で広島市中区に移住、保育園では
@泣いている記憶と、
A先生に絵を教わった記憶、
Bドイツ語でエーデルワイスを歌っている記憶
C東京の祖母宅に預けられている姉に会いに新幹線に乗っている記憶
D広島市民球場前で赤いスポーツカーに乗っている衣笠を見た記憶
が、鮮明に残っている。
4歳まで広島で暮らす。
千葉県市川市に移住、本八幡駅近くの幼稚園に通う。
小学校は市立国府台小学校。(校歌は覚えています。)
習い事は、ヴァイオリンを5歳から11歳まで。
握力がなく、ビブラートを効かせることができませんでした。
中学校は一応進学校へ
中学校から、私立武蔵中学に進学。
中学時代は、硬式テニスにはまる。勉強はそっちのけ。本当にそっちのけ・・・
シンガリの成績のままエスカレーターで私立武蔵高校に進学し、2年間頑張るが・・・
このまま勉強を続ける必要性を感じず、その後退学・・・
(これは、人生の大きな間違いでした!!)
人生の底を味わう
その後、その当時好きだった音楽活動にさらにはまりこむ。その頃は、パーカッションに勤しむ。
19歳のころ、一念発起して大学受験をするが、目標の大学とは縁がなく、港区にあるとある大学に入学するも・・・直後にアパレル関係の販売の仕事を始め、知らぬ間に大学は除籍。
(両親へ、申し訳ございませんでした。)
社会人として(人生の下積み時代・・・ここでサービス業を学ぶ)
20歳〜24歳まで、アパレル関係の販売の仕事を続けることになる。
紳士服を販売したこともあったが、一番自分に合っていたのが「子供服の販売」。
お母さんは勿論、子供にも敬語で接客をする。
泣いている赤ちゃんに必死で敬語を使うとなぜか泣きやむという特技を発見。
常に、お客様よりも下の目線で話すことを心掛け、買い物を楽しんでもらう事ばかり考えていた5年でした。季節の移り変わりを先取りし、トレンドを読み、商品をレイアウトしていく作業はとても楽しかったです。
また、本当のおしゃれとは「高いものを身につける」のではなく、「自分に合ったものを身につける」ことなのだと実感。以降、私服には、たとえば「ユニクロ」も愛用する。
その後、今の自分に物足りなさを感じ、一念発起して資格取得のため専門学校に入学。(高校時代の友人の影響がありました。ありがとう。)
今までの堕落した自分の過去をどうやって埋めるのか。それを考えていた時、異様に合格率だけは日本一低い資格「司法書士」と出会う。
「これをとれば、多少は今までの遅れを取り戻せるかもしれない・・・
司法書士を目指す(やった、一発で合格)
という事で、先ほどの専門学校にて司法書士の勉強を始めるが、その学校は現役で司法書士試験に合格した人が、創立20年で1人だけという・・・過酷で悲しい現実を入学後に突きつけられる。
だからこそ、ストイックに勉強をし、実質7カ月の勉強で、試験用のカリキュラム消化途中で、そんな専門学校の2人目の現役合格者となり・・・その後司法書士事務所に勤務。
司法書士事務所勤務時代
勤務時代は、主に商業登記・不動産登記を担当。残業は当り前の日々を過ごす。
勤めていた事務所は、いわゆる「登記工場」のような事務所でした。
司法書士試験時代に勉強した、専門的な法律知識はあまり必要のない仕事を黙々とこなす日々が続く。ただ、会社法施行後は、商業登記を色々と担当させてもらい、
実務の楽しさを知りました。
そのような中、
「もう少し、司法書士としての能力を発揮できる、人と接する仕事をしたい」
と、その後事務所を退職。
3週間の準備でオマケとして行政書士試験に合格。
(行政書士試験は、司法書士試験の余力で十分対応可能でした。ちなみに、行政書士は登記をすることができません。)
独立開業
2007年2月に文京区で事務所開業。
コンセプトは「期待以上のサービスで感動していただく」というもので、地道に顧客開拓していくことにする。
「お願いします、登記をください」
などという営業はせず。ひたすら、ひたすら、ただひたすら、お客様が来るのを待つ。
自作のホームページがなかなかのものだったのか・・・徐々にお客様が集まりだす。
(自作のホームページはこちら >>>)
その後も、沢山の出会いに恵まれる。
業務割合は、法人登記が7割 契約書作成が2割 不動産登記が1割9割の顧客が、中小ベンチャーの企業様。
行政書士業務は行っておりません。
(行政書士専門業者の方が、お客様にいいサービスを提供できるので・・・その方たちにお任せしております。)
2008年2月に事務所を千代田区に移転し、今に至る。
今後〜
そろそろ、経営者として3年目を迎えます。司法書士関川だからできる、貴社に対するサービスに磨きをかけていきたいです。
法律上の要件を具備させるのは勿論ですが、
「登記簿は会社のマーケティングにあたり大切なツールである」
という事を肝に銘じた上で、必要な登記をアドバイスしていくことのできる司法書士になりたいです。会社に不利益な登記は回避し、有益な登記はどんどん取り入れていっていただくということです。もちろん、実際に起きてしまっては、どうしようもないですが、それを回避する策は、事前に用意されているのです。
弊所がかかわったすべての会社が成功することを願って・・・
今後とも、関川嘉一をよろしくお願い申し上げます。
PS. (この場をお借りして)
私の人生、今まで山もあれば谷もありました。
どん底の状態から這い上がって、今の状態があるのは、人間関係に恵まれていたからだと思います。
今まで私を支えてきてくれた方々、どうもありがとうございました。
今の現状に満足せず、これからもどんどん上を目指して行きたいと思います。
そして、今度は私の存在が皆様のお役に立てれば幸いです。